東京都美術館で開催中の「スコットランド国立美術館展」を観ました。時間予約制でしたが、かなりの人出で、世界有数のヨーロッパの美術館展への関心の高さを感じさせました。20歳前のベラスケスが描いた「卵を料理する老婆」のリアリティに驚嘆し、貴族の婦人などを描いた肖像画、スコットランドの風景画に、近代ヨーロッパ美術の優雅さ水準の高さを知らされました。その中に、英国を代表する風景画家ウィリアム・ターナーの作品「トンブリッジ、ソマー・ヒル」があり、夏目漱石の「坊っちゃん」の一節を思い出しました。
坊っちゃんが四国の中学校教師に赴任したばかりのころ、教頭の赤シャツと美術教師の野だいこに誘われて船釣りに出かける、その時の会話にこうあります。「『あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘かさのように開いてターナーの画にありそうだね』と赤シャツが野だに云うと、野だは『全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ』と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。」教頭の、知性を鼻にかけたような言葉に追従する美術教師。二人の俗物ぶりを表すのに、うまくターナーが使われています。当の漱石は英国に官費留学し、人種差別や、貧困、神経衰弱に悩まされながら、否も応もなく英国の文化の洗礼を受け、ターナーの絵画も見たことでしょう。私はと言えば、この「坊っちゃん」の一節によって、たった一人だけ、偉大な英国風景画家の名を知ることになりました。 小倉明