小象のしっぽ(小象の会ブログ)

小象の会(NPO生活習慣病防止に取り組む市民と医療者の会)は一般市民の方と医療者が力を合わせ、生活習慣病に関する様々な情報発信を行っているNPOです。このブログでは、メンバーの趣味や創作など、日々の生活を彩る様々な事柄について気楽に掲載しています。

テーラー

ホタル

いつの間にかホタルのシーズンになりました。毎年いろいろな場所に出かけてみますが、少ししか見られません。そこで、娘家族と、椿山荘で開催される「ホタルを見る夕べ」に行くことにしました。大雨の予想でしたが、日が暮れるとともに雨が上がり、元は明治の元勲の屋敷だったという広大な庭の一部は、入場券を持った人々でにぎわっていました。雨上がりのためか、そこには私がこれまで見たことのない、「蛍川」とはこのことか、というような点滅する無数の光の帯がありました。かつて見た、外房大原の渓流のホタルは天然のものでしたが、これは人工的に飼育したホタルによる都会の幻想です。灯りを消された庭園を迷いつつ、いつしか人込みを離れていくと、向こうの暗闇から女性の声がします。年配の女性の手を引いているようです。「お母さん、あっちにホタルがいるらしいよ、たくさんの人の声がする」私は、この二人はいったいどこから来たのだろう、と思いました。暗闇がもたらした小さな不思議です。 小倉明

にらみ

NHKの「ダーウィンが来た!」で、シロアタマラングールという絶滅危惧種の猿の生態をとらえた番組がありました。地上300メートルの切り立った絶壁で、群れを作り、生活を営み、子どもを産み育てています。特にオスの宿命は過酷です。群れの中に大人のオスは一頭しかいられず、成長したオスはその群れを出て、戦闘能力を身に着け、どこかの群れのボスと命がけで戦って勝つことで、初めて子孫を残せるのです。番組は、一頭のオス猿が、赤ちゃんから群れのボスとなるまでを撮影していました。ボスになった猿は、絶壁の木の上で、自分の群れが外敵に襲われないよう、ほかのオスに取られないよう、周囲をにらみ、睥睨しています。それがボスであるなによりの印なのです。

高いと言えば、スカイツリーは634メートル、その頂上が開業10周年を迎えて初めて公開され、ここで歌舞伎の市川海老蔵が「世界の平和、コロナ禍の終息、さまざまな困難に立ち向かう全ての方々の災いを払う願いを込め」お家芸である「にらみ」を披露しました。このにらみを受けた人は、一年間無病息災で過ごせるという言い伝えがあるそうです。まるで浮世絵から出てきたような、その「にらみ」の姿に、伝統というものの圧倒的な力を感じました。
    小倉明

坊っちゃんとターナー

東京都美術館で開催中の「スコットランド国立美術館展」を観ました。時間予約制でしたが、かなりの人出で、世界有数のヨーロッパの美術館展への関心の高さを感じさせました。20歳前のベラスケスが描いた「卵を料理する老婆」のリアリティに驚嘆し、貴族の婦人などを描いた肖像画、スコットランドの風景画に、近代ヨーロッパ美術の優雅さ水準の高さを知らされました。その中に、英国を代表する風景画家ウィリアム・ターナーの作品「トンブリッジ、ソマー・ヒル」があり、夏目漱石の「坊っちゃん」の一節を思い出しました。

坊っちゃんが四国の中学校教師に赴任したばかりのころ、教頭の赤シャツと美術教師の野だいこに誘われて船釣りに出かける、その時の会話にこうあります。「『あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘かさのように開いてターナーの画にありそうだね』と赤シャツが野だに云うと、野だは『全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ』と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。」教頭の、知性を鼻にかけたような言葉に追従する美術教師。二人の俗物ぶりを表すのに、うまくターナーが使われています。当の漱石は英国に官費留学し、人種差別や、貧困、神経衰弱に悩まされながら、否も応もなく英国の文化の洗礼を受け、ターナーの絵画も見たことでしょう。私はと言えば、この「坊っちゃん」の一節によって、たった一人だけ、偉大な英国風景画家の名を知ることになりました。 小倉明

永遠ということ

 人は何かを尊び強調したいとき「永遠に」とか「いつまでも」と言います。何が永遠か、というと「巨人軍」だったり「二人の愛」だったり「祖国」のように、人が大切に思うものが対象なのです。ところが最近はちょっと違っている。「永遠に飛ぶ紙飛行機」というものが登場し、youtube で見てみると、たしかによく飛ぶが、計測してみると、永遠ではなく、長くて40秒くらいでした。「永遠」の仲間に「無限」があり、「無限キャベツ」という調理法があります。試してはいませんが、キャベツが無限に食べられるわけではないと思われます。これらを命名した人は、永遠や無限が、「普通よりいい」くらいの意味で使っているのでしょう。

ある男がラブレターの中で、「あなたを明治神宮絵画館前で毎週日曜日午前10時にいつまでも待っています」と書きました。学生の頃、私はその近くに住んでいたので、そこを通るたびに、「あの男は言葉通り今もここで待っているのだろうか」と思ったものです。しかし、一度もそれらしき姿を見たことがない。けれども私は「いつまでも」それが忘れられないのです。何の関係もないのに。そして空想しました。男は言葉通り、10年も20年も待ち続け、50年たった日に相手の女性がそこに現れる。さてどうなるのか。これは一種の不条理劇ですね。 小倉明

おうちにかえろう病院

5月16日の日経朝刊に「おうちにかえろう病院」の安井佑氏のインタビュー記事が載りました。会報31号に、この病院について書いたこともあり、興味深く読みました。、彼の心の部分や、これからのビジョンなどにも触れた、従来のマスコミでの取り上げ方とは一味違うインタビューだと思います。私はその中で二つの点に注目しました。一つは彼の父親が亡くなった時「医療側との間に圧倒的な強者と弱者との関係性を感じた」という部分であり、二つ目は国際医療チームとしてミャンマーに渡ったのは「恵まれた環境で甘やかされている」コンプレックスがあったからだ、と語っている部分です。いずれも弱者に心を寄せる姿勢が鮮明です。これは医療者にとって、いや政治家や公務員や福祉に携わる者、その他すべての社会人にとって最も必要なことではないでしょうか。安井氏はまだ41歳ですが、生涯この気持ちを持ち続けていただきたいと思います。 小倉明

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