山口百恵はなぜスーパースターに成ったのでしょうか。芸能雑誌や音楽評論にその理由がいろいろと書かれていますが、僕の考えでは彼女のレパートリーを作った人物にあると思っています。そしてそれらの人物が曲を提供したいと思わせた山口百恵のキャラクターにあります。 

  彼女がデビューしてはじめに大きな話題となったのは「ひと夏の経験」あたりだと思います。この曲は千家和也と都倉俊一のコンビによるもので、この頃の曲は大体このコンビで作られていました。ただしこの時期はまだ超大物といえる歌手ではありません。彼女が超大物としての道を踏み入れたのは、当時ニューミュージックとして登場してきたミュージシャンが曲を提供してからです。今ではあまり珍しい事ではありませんが、当時はあまり例の無い事でした。宇崎竜童の作曲による「横須賀ストーリー」「イミテイションゴールド」などとても新鮮でした。しかも作詞があの阿木耀子です。その後、このコンビによる「プレイバックpart2」によって歌謡界で不動の地位を確立しています。さだまさしの「秋桜」や谷村新司の「いい日旅立ち」もかなりのものです。

  60年代に外国でもこの路線を行ったミュージシャンがいました。レノン・マッカートニーの作品を歌った「ピーターとゴードン」、ポール・マッカートニーが曲を書きプロデュースもしていた「メリー・ホプキン」、ポール・サイモンのレッドラバーボールでデビューした「サークル」、ニール・ダイアモンドやボイス&ハートが作った曲でヒットを出した「モンキーズ」などがその例です。ただし日本と同じように現代では珍しい事ではありません。

これらの内容はあくまでも僕の意見です。