526日の千葉日報9頁に佐藤学・東大名誉教授(教育学者 著書多数)の随想が掲載されています。幼少期の佐藤さんは、仮死状態で生まれ、度々ひきつけを起こし、運動の障碍も強く、すべり台の階段が登れなかった。計算間違いが多く、多動で授業も15分と持たなかった。教科書やランドセルも無くした。運動会ではいつもビリ。一方、読むのが大好きで、音楽も大好きだった。妹の習ってきたピアノの練習曲を聴くだけで演奏できた。手先も器用で、両親は将来時計職人にしようと思っていた。障碍のメリットは大きかったと書いてあります。両親は山や川で存分に遊ばせてくれた。そして良い教師に巡り会った。障碍者とすぐに仲良くなった。問題行動のある子とすぐ仲良くなった。ところが運動能力は徐々に改善、高校では器械体操などはトップレベルになった。今も多少の障碍はあり、電話番号まだうまく押せないし、九九も間違える。

 学校は学習障碍の子ども達を障碍者として扱っている気がするという。子ども達を信頼と愛情で包み込んでほしいと。父上の両手は傷だらけであったが、「酒飲みだから酔っぱらって」と終生言っていたが、ひきつけのときに、父が息子の舌を守ったのだった、と。

 実にそのときの状況では人を判断できないし、長い目で見ないといけないと思いました。両親の信頼と愛情が、佐藤さんを良い方向に向かわせたに違いありません。  篠宮正樹